バブルバット症候群(正浮力症候群)とは、近年ウミガメに増加している疾患で、コネチカット州のミスティック水族館で飼育されているオスのアオウミガメ「シャーロット」もこの疾患に苦しんでいました。この症候群は外傷(多くは船との接触)が原因で起こり、甲羅の形状に異常が生じて空気が溜まり、臓器が圧迫されることで通常どおりに泳ぐことが難しくなる疾患です。
シャーロットは2008年にジョージア州ジキル島で発見され、泳ぐことも生存のために十分な餌を食べることもできず保護されました。Georgia Sea Turtle Centerのチームがしばらく世話をした後、ミスティック水族館に協力を要請しました。
当時ミスティック水族館の主任臨床獣医師だったJenn Flower博士は、シャーロット(この時点でオスと判明していましたが、名前はそのままにすることに)には何らかの支援が必要だと判断しました。ミスティック水族館の飼育員・獣医チームは、甲羅に直接おもりを貼り付ける方法から、布製の複数ストラップ式の加重ベルトを装着する方法まで、あらゆる手段を試しました。しかし、粘着剤で皮膚が炎症を起こしたり、水槽の側面におもりをこすりつけて外してしまったりと、初期の試みはうまくいかなかったといいます。Flower博士をはじめとする獣医チームは、従来の発想にとらわれない解決策が必要だと認識。その有力候補として3Dプリントに注目しました。
ミスティック水族館は、甲羅に直接おもりを貼り付ける方法など、シャーロットの「バブルバット症候群」を軽減するために複数の手法を試したが、粘着剤による炎症が生じたため別の方法を模索する必要があった。
ミネソタからアイデアが届く
写真の布製ハーネスは動きや成長に合わせて調整でき、当初うまく機能しているように見えたが、ハーネスが十分に密着せず、シャーロットは水槽の側面にこすりつけることで外してしまった。
ミスティック水族館のチームが3Dプリントの検討に踏み切るきっかけとなったのは、ある「アイデア」を知った時でした。ミネソタ州の高校生Gabriela Queiroz Miranda氏は、バブルバットに苦しむカメのための加重ベルトを開発していました。Queiroz Miranda氏は3Dスキャナと3Dプリンタを活用し、教室で飼育しているカメ(ヴォルデトート)に試着してもらいながら設計と検証を繰り返しました。このプロジェクトはScience News Exploresで紹介され、その記事に触発されたFlower博士が、コネチカット州の3Dプリント企業 Adiaに連絡を取るに至ります。Flower博士から連絡を受けたAdiaのアディティブマニュファクチャリングディレクター、Nick Gondek氏は、3Dプリントの専門性を生かして社会に役立つことができるとすぐに確信しました。
3Dプリントのワークフローは、一定のカスタマイズが必要な用途で特に強みを発揮します。複雑な形状や小ロット生産、有機的形状など、従来工法では製作が難しい場合、3Dプリントの活用が最もシンプルで費用対効果の高い選択肢になり得ます。
「私たちが解決しようとしていたのは、シャーロットの背中におもりを載せることです。これだけだととても単純に聞こえますが、実際には非常に難しいプロセスでした。シャーロットに何かを確実に固定するには、専用の装置を作るしかありませんでした」とGondek氏は語ります。
3Dスキャンの専門家であるChris Wilczewski氏とFunctional 3Dチームが、シャーロットの甲羅の3D画像を高解像度で作成。これにより、New BalanceのChris Wawrousek氏率いるソフトウェア設計チームが、シャーロット専用ハーネスを生成するコンピュテーショナルモデルを設計できた。
3Dワークフローを構築するため、Adiaは3Dスキャンの専門家であるChris Wilczewski氏とFunctional 3Dチームを迎え、シャーロットの高解像3Dスキャンを行いました。このスキャンは以後の設計プロジェクトの基盤となり、必要に応じて取り外し・改変が可能で、密着しつつシャーロットにとって快適な装具の設計が可能になりました。
Functional 3Dチームは、精密さと徹底性といったニーズを確実に満たしながら、Flower博士とミスティック水族館の飼育チームが講じていた安全策とも両立させる必要がありました。「ハーネス設計におけるデジタルワークフローを推進するなど、Functional 3Dチームの貢献はこのプロジェクトにとって非常に重要な要素になりました」とGondek氏は述べています。
シャーロットに「新しいバランス」を
New Balanceはフットウェア領域のコンピュテーショナルデザインを牽引する企業。シニアクリエイティブリードのChris Wawrousek氏は、自身の設計スキルを社会的意義のある用途へ転用できる機会を見出し、シャーロット以外にも同様の症状を抱えるカメを救うことのできるジェネレーティブシステムの開発とモデリングに取り組む。
スキャンデータに基づくデザイン開発の段階で、Adiaはこのレベルの専門性を備えた企業があることを把握していました。New Balance Athleticsは、最先端の設計技術を活用して高性能スポーツギアを設計・製造し、スポーツパフォーマンスの可能性を押し広げています。
シニアクリエイティブリードのChris Wawrousek氏は、コンピュテーショナルデザインの専門家です。コンピュテーショナルデザインとは、事前に設定したアルゴリズムとパラメータで情報を取り込み、その情報が示す課題を解決する設計案を生成し、さらにシミュレーションでフィードバックを得ながら改良していく手法です。
「シャーロットの遊泳の問題を解決するうえで、デジタル技術は大きな助けになりました。一つひとつを手作業で設計するのは非常に時間がかかりますから、こういう場面ではコンピュテーショナルデザインが真価を発揮します。カスタム生成のハーネスを作れるワークフローが構築できるというのは、とても強力です」とWawrousek氏は語ります。
幅広のベルト状のハーネスは、3DスキャンデータとWawrousek氏のコンピュテーショナルデザインプログラムを用いた初期の試作品。
別の試作案では、シャーロットの甲羅外縁に沿って固定する複数の小型クリップが設けられている。
チームはWawrousek氏の設計をもとに、幅広のベルト状のハーネスから小型クリップ、スナップフィット機構を備えた厚手のハーネスなど、複数の試作品を開発しました。「改良案の多くは、ウミガメにとっての快適性を重視して生まれたものです。ハーネスを十分に固定できる『引っかかり』を甲羅のどこに確保できるか、おもりの配置位置、そしてその位置の調節機能などを精密に詰める必要がありました」とGondek氏は言います。
数か月にわたる設計作業の末、シャーロットの甲羅の縁に沿って巻き付けられ、必要に応じて取り外し・調整が可能な、軽量で機敏な調整式ハーネスに落ち着きました。実用的な設計に到達した後も作業は続きます。ハーネスの製作時には、強度・精度・再現性を最大化する必要がありました。
カメのペースで検証
Oxford Performance Materials(OPM)のカスタム材料(ベージュの部分)とFormlabsのFuseシリーズでNylon 12パウダー(濃いグレーのウエイトホルダー部品)で製作したハーネスは良好に機能し、最終版は概ねこの形状に。
シャーロットがまた普通に泳げるようになった。主にOPMの材料で作られたこのハーネスは、密着性が高く耐久性があり、軽量化が実現できること、そしてシャーロットが甲羅周辺の接触に順応できることが確認できた。
Adiaは長年にわたって様々な3Dプリントメーカーや材料を取り扱い、多くのパートナーと協業しながら最適解を探ってきました。3Dプリント材料メーカーのOxford Performance Materials(OPM)は、SLS(粉末焼結積層造形)方式の3Dプリンタで造形可能なカスタム材料の開発を支援しました。SLS部品は高品質で強度も高く、シャーロットの体に過度な重量を加えることなく、泳ぐ際にわずかな柔軟性も確保できました。
OPMのホワイトパウダーで3Dプリントした最終的な試作品は良好に機能し、シャーロットは通常どおりに泳げるようになりました。その結果、後ろ足の運動の再開も確認できるなど、完全な回復に向けた重要なステップとなりました。ただし、OPMのワークフローは材料も造形プロセスも特別仕様だったため、AdiaはWawrousek氏のコンピュテーショナルデザインシステムが持つ拡張性と使いやすさに見合うソリューションを必要としていました。「このプロジェクトでは様々な3Dプリント方式を検討し、いくつかの理由からSLSを選びました。第一に造形容量と部品サイズです。第二にサポート材なしで造形できること、そして第三にこのプロジェクトに必要な剛性を備えた適切な材料を選べたことが決め手となりました」とGondekは語ります。
AdiaとFormlabsの連携は完璧に機能しました。FormlabsのFuseシリーズ SLSエコシステムは、ハーネスに必要な工業用途レベルの強度を備えつつ、導入・運用しやすいワークフローと多様な材料選択肢を提供します。FormlabsのNylon 11 CFパウダーは求めていた剛性を提供しながら、他のSLSシステムに見られるような巨大な装置や複雑な運用を必要としませんでした。「その後も、多くの水族館から支援の相談が寄せられています。それを考慮し、このプロジェクトではアクセスのしやすさを重視し、Fuseの造形サイズに収まる範囲でハーネスを設計することを目標にしました。他の水族館や施設にもSLS技術を活用してもらいたいのです。Fuseは最大級の導入実績を持つシステムで、最も利用しやすいと私たちは考えています」とGondek氏は言います。
まっすぐ泳ぐために
FormlabsのFuseシリーズでNylon 11 CFパウダーを用いて造形し、New Balance、Adia、ミスティック水族館が組み立てた最終的なハーネスで、シャーロットは再び泳げるように。ハーネスの装着に慣れてきたら、おもりを追加して正の浮力をさらに補正していく。
最終的なハーネスの造形・組立を終え、シャーロットに装着する時、チームは固唾を飲んで見守りました。シャーロットは年齢を重ねるにつれ、水槽から出されたり甲羅に見慣れない新しいベルトを装着されたりすることへの忍耐力がなくなってきています。しかし水に戻されると、満足そうに泳ぎ出し、違和感も少ないように見えました。
ミスティック水族館の飼育員でシャーロットの担当者でもあるClaire Bolster氏はこう言います。「とても良い反応に見えます。前回ハーネスを装着してから少し間が空いていましたが、この新バージョンは今のところ良い改良だったようです。このまま装着時間を増やし、安定して装着できるようになれば、おもりを再び追加してどの程度まで許容できるかを確認できそうです。装着直後からうまく適応できているのは、非常に良い兆候です。」
シャーロットと同じ症状を持つカメを支援する取り組みに参加してみませんか?AdiaとNew Balanceのチームは、このプロジェクトを継続するために協力してくれる適任者を探しています。下記のポスターをご覧のうえ、必要なスキルをお持ちだと思われる場合には、ぜひ簡単なアンケートにご回答ください。
コンピュテーショナルデザイン、3Dキャプチャ、フィーチャー認識、材料工学、大容量3Dプリント、クリエイティブな資金調達などの経験をお持ちで、シャーロットのようなカメを一緒に支援してくれるか方は、ぜひ以下より簡単なアンケートにご協力ください。今後のプロジェクトに適したスキルをお持ちの方には、シャーロットを担当するチームからご連絡させていただきます。


